33『夢を繋ぐ魔法』



 遠くに遊びに行って、帰り道が分からなくなったことがある。
 一人、知らない道に立ち尽くしていよいよ泣きそうになった時、
 母さんが俺を見つけてくれたんだ。

 -------やっと見つけた。

 こんなところまで遊びに来たことを怒るでもなく、
 母さんは優しく微笑んで俺と手を繋いでくれた。

 -------さあ、帰ろうか

 帰り道で母さんはずっと歌っていた。
 その歌は繋いだ手と同じように、暖かくて、やさしくて、
 それはかなり昔の事だけど、今でもはっきりと俺の耳に残っている。



 歌が聞こえる。自分を包み込むような、暖かく優しい歌が。
 流されている間ずっと流れに逆らって泳ぎ続け、心身疲れ果てていたリクは、ふと自分の手足が止まっていることに気がついた。“死出の道”にいたはずのリクは現在、今までに感じたことのないような明るい光の中に身を包まれている。
 “死出の道”の川は未だリクの周りで激しく流れている。しかしながら、その流れが彼を押しながすことはない。彼を包んだ光が、その圧力を全て受け流しているらしい。
 彼は完全に今まで感じていた苦しみの一切が取り除かれて、今感じている心地よさに心身をゆだね、そして聞こえる歌に耳を傾けながら、ただ流れの中にたゆたっていた。



 満天に散らばる星の中にて ひときわ強く光るあなたの夢
 幾千の海の中に埋もれても 一目で見つけられるその輝き

 混じり気の無い眩さに照らされて 私の星も瞬きをはじめた

 感謝しています 出会えた奇跡に
 苦しみに沈んでいた私を 優しく見つめてくれた瞳に

 さあ目を覚まして あなたという星はまだ輝ける
 あなたが光を与えた星達が あなたを照らし返すから


 足早に流れる時の中にて 曲がること無く歩むあなたの夢
 ときどき機運を掴み損ねても 決して振り返らないその生き方

 立ち止まらない足音に急かされて 私の時もまた流れはじめた

 感謝しています 暖かい笑顔に
 悲しみに流れていた私を ふわりと包んでくれた心に

 さあ目を覚まして あなたが行く時はまだ止まらない
 あなたの後に続いてくる時達が あなたの背を押して行くから



 聞いたこともないはずの声だった。しかしリクは優しく、そしてどこまでも強いその歌声が、誰のものであるかをハッキリと認識している。

(フィリー……)

 自分を想ってくれている少女。罪と恋の板挟みになって苦しんでいる少女。どれだけ強大な魔力を持っていても、弱々しいイメージしか無かったフィラレスだったが、歌から伝わって来る彼女の強さは、それを完全に覆すものだった。
 リクは“死出の道”と死の世界の境界線が思いのほか近いのを感じた。よく分からないが、このフィラレスの力がなければ、おそらく激流に流されて、その境目を踏み越えてしまうところだった。
 歌われている通り、彼の夢はまだ終わっていない。フィラレスがその夢を繋げてくれた。
 その想いは、無駄には出来ない。


   *****************************


 医務室への扉を抜けたカーエス達の目の前に現れた光景は、ミルドがわざわざ百分は一見にしかずと、わざわざ持って回ったような言い方をしていたことを十分すぎるほどに納得させるものだった。
 彼は好きでそのような言い方をしたわけではない。単にその光景を言い表す言葉が見つからなかったのだ。

 その光景は光に満ちていた。
 目を閉じ、今まで見せたことのないような、優しい微笑みを口元に浮かべ、横笛を吹き続けるフィラレスから幾筋もの光の帯がにじみ出るようにゆっくりと伸び、リクの身体を包んでいる。
 滅びの名を与えられているはずの魔力だったが、それに触れられたリクが傷付くことは無い。その光の帯たちは愛し気にリクの身体を撫で、むしろ先ほどまでリクを苦しめていた苦痛を全て取り除いているらしい。今のリクの表情ともすれば死んでしまっているのでは無いかと思ってしまうほど安らかだ。

「もうアカンと思たよ」と、扉の傍で未だリクとフィラレスの間に繰り広がる幻想的な光景に魅入っていたらしいジッタークが脱力した様子でぼそりと言った。「そんな時に、あの嬢ちゃんが笛を吹きはじめよってな。声が出んさかい、ああやって必死で“死出の道”を歩いとるリクを呼び止めようとしたんやろうな」
「そんな強い思いに“滅びの魔力”が応えたと?」

 そうジェシカが続けて問うと、それにはミルドが答えた。

「そうとしか説明が付かないよ。いくら“滅びの魔力”と言ってもフィラレスの魔力だ。元々操ろうと思えば、操れないことも無いんだ。それでも、今までどんなに強く傷つけたくないと思っても“滅びの魔力”は制御出来なかったのに……。よほど純粋にリク君を助けたいと願ってるんだろうね」

 そう語るミルドの顔は嬉しそうだ。元々、彼の“滅びの魔力”の研究は強力すぎる魔力に困っているフィラレスの為に、何か制御できる方法は無いか、と魔導制御研究の第一人者であるミルドが始めた研究である。その問題が解消する見込みが付いてほっとしたのだろう。
 続けて、ミルドは思い出したようにカーエスに尋ねた。

「そういえば、ティタは? 一緒じゃなかったのかい?」

 聞かれたカーエスが驚きの表情をミルドに返す。

「え? 帰っとらんのですか? 足手纏いになるからって図書館でティタはんは先に帰ったんですけど」

 聞き返されたミルドの顔色が蒼白になった。その理由に心当たるものがカーエスにはあった。

「ひょっとしたら、あの魔導士連中に捕まえられたりしとるんかもしれへんなぁ。コーダ、あのそこらにうろついとる魔導士連中の事何か知らへん?」
「ああ、まだ伝えてやせんでしたっけね。って言うかあの白の刻の放送聞いてなかったんスか」
「白の刻? おそらく“忘却の間”への秘密通路に入った頃だろうな」

 秘密の通路だけあって、“伝声器”の声も届かなかったのだ、とコーダも納得すると魔導研究所開発部長のディオスカスの起こしたクーデターについて話した。

「へぇ、そんなエライ事が起こっとったんやな。でも、何で俺らがここに帰ってこようとすんのを邪魔されたんやろ?」
「それは、ダクレー=バルドーもディオスカス=シクトの計画に一枚噛んでたからでやしょうね。ダクレー=バルドーが兄さんと何かを話しとったことは確実スから、口封じの為にも目を覚まされたら困るんでやしょう」

 コーダの冷静な解析も、ミルドの耳には届いていないようだった。しきりに扉の方に目をやっては何かを言いたそうにしている。
 彼の分析が終わったのを見計らって、ミルドは勇気を振り絞るようにして言った。

「僕、ティタを探しに行ってきます」
「いや、探しにいくったって、ミルドはんは魔導士でも何でもないんやから危険ちゃいますかって……ちょ、ミルドはんっ!?」と、カーエスが反論するが、ミルドはそれを言い終えるか終えないかという内に踵を返して、医務室を飛び出して行ってしまった。

「仕方がないな。私が彼についていこう」

 溜息まじりにジェシカが動こうとするのを、コーダが止める。

「まあ、放って置いても大丈夫だと思いやスよ。クーデターは戦争じゃないんスし。見つかっても精々眠らされるだけでやしょう。それより、ディオスカス=シクトがここの妨害に出て来る事もあり得るんで、あまり戦力を拡散させない方がいいんじゃないスかね」
「でも……」と、カーエスが食い下がろうとするが、コーダの言い分にも納得できるものがあったので、結局は引き下がった。


「さて、アレもいつまでもつか分からんし、とっとと始めよか」と、いろいろなものを動かし、スペースを作っていたジッタークがカーエス達に手を差し伸べた。何を求めているのかを察し、ジェシカが“忘却の間”から取ってきた“圧縮卵”をジッタークの手にのせる。
 ジッタークは感慨深げな目でその卵を目の前にかかげると、その圧縮を解く為の合い言葉を唱えた。

「“血の上に成り立つ命”よ、ここに」

 すると、“卵”がかっ、と一瞬、眩い閃光を放ったかと思うと、ジッタークの足下に一冊のノートといくつかの魔導具らしき物が姿を現わした。

「血の上に成り立つ命……スか。それが“どんな病気、怪我でも治す魔法”を封印した理由でやスか?」
「まあな」と、ジッタークが魔力を通し易い魔石の屑からつくられたチョークで床に魔法陣を描きながら答える。そして脇で見守っていた魔導医師に指示をした。「クロニカ二瓶にヴァム処理。ハスター魔素は粉末にして一瓶分のジエルに融かす。それらの薬をクオンと混ぜるんや。魔法物質の配置はあんさんの方が詳しいやろ」
「で、でもクオンなんてここにはありませんよ?」

 次々と上げられて行く魔法物質の名の一つに魔導医師が反応した。クオンは別に珍しい物質ではないが、需要が極端に低い物である為、置いてあるところがなく、入手が非常に難しいのだ。

「さっきそこの便利屋に持ってきてもろたモンの中にトウワがある。それをヨート第三式分解すれば抽出できる。他に質問は?」
「ヴァム処理の度数は?」
「247度きっかしや。頼むで」

 ジッタークの声に、魔導医師は任せてくれとばかりに力強く頷くと、助手を伴って医務室の奥に消えていく。少しばかり興奮気味なのは、気負いと、魔導医師であれば一度は興味を持つ“どんな病気、怪我でも治す魔法”にたずさわれる喜びからだろう。

「なあ、おっちゃん。そろそろ教えたってくれへんか? “どんな病気、怪我でも治す魔法”ってどんな理論から成り立ってるんや?」

 それはそもそもあり得ないことと言われている。病にも怪我にも種類はある。それによって施せる適切な処置とは全く違って来るものだ。極端な話、病と怪我の治療法は全く相容れない。そういった適切な処置を施すのに必要な知識が膨大だからこそ、医師という専門の職業があり、外科、内科と別れているのだ。

「……言ってまえば簡単な話なんや」と、複雑な魔法陣を迷いのない手付きで描きながらジッタークは答えた。「生まれつきの持病やない限り、誰かて病気に掛かる前は健康や。だから、患者の身体の時間を戻し、その時の状態に戻すだけのこっちゃ」
「それって……」

 ジッタークの言葉に、その場に居た全員の表情が固まった。
 患者の身体の時間を戻す。これは魔導医学の分野ではない。ファトルエルでカーエスが使った《三倍速》と同じ、時魔法学の分野だ。夢のまた夢、または限りなく不可能に近いと言われる時を操る魔法。
 その疑問に答えるように、ジッタークは自嘲するような笑みを顔に浮かべて続けた。

「不可能に限りのう近いモンを可能にするんや。タダでできるわけやない。便利屋、アレをみんなに見せたれや」

 ジッタークの指示に、コーダは自分が集めてきた荷物の中から、一瓶の液体を取り出してみせた。その中身は赤黒く、医学知識のないカーエス達にも見覚えのある色だった。

「……それ血ィか?」
「せや。おんどれらもよう知っとるダクレーちゅう奴のな。さっきそこの便利屋に頼んで採ってきてもろうたんや」

 “血の上に成り立つ命”。
 さきほど、“卵”の圧縮を解くのにつかった合い言葉が脳裏に蘇る。

「普通の血液では上手くいかん。八刻(二十四時間)以内に死んだ人間の血液でないとな」

 それが、ジッタークとその師が生み出した万能治療魔法を封印した理由。
 誰もが納得した。

「どないに試しても、これは抜かされへんかった。今回は八刻も戻せば十分やけど、戻す時間の長さに比例した量の血が要る。一年戻そう思たら、そやな、ざっと五十人からの死体から血の一滴も残さず搾り取らなあかん。たった一人の命を助ける為にや」

 犠牲は人を救う方法にはならない、とジッタークの師は最後に呟くように漏らした。
 そんな非人道的な魔法が認められるはずがない、と彼等はよく分かっていたが、広い世の中には狂った人間も存在する。自分の愛する存在を救う為に、他の百の命を犠牲にしてもいい、と。

「言葉面ほど便利な魔法やないてそういう意味やったんか」と、カーエスが禁術破りに出発する直前に聞いたジッタークの言葉を振り返った。

 同時に、ジッタークはその禁術を使う為の条件が揃っているとも言っていた。
 今回のリクの場合はたまたま、戻す時間が少なくて済んだこと、死者の血液が必要になった段階ですでにダクレーという死者が出ていたこと、という二つの偶然が重なり、非人道的な行い抜きに万能治療魔法を行使できる条件が整っていたのだ。

「あの、ちょっと聞いても良いスか?」
「何や?」
「その魔法って兄さんの中の時間を巻き戻すんスよね? そしたら、時間が経ったら同じ状態に戻るって事はないんスか?」

 ジッタークは首を横に降って答えた。

「あらへんよ。この方法は魔導列車が一度分岐点の後ろまで後退して、違うレールに進むんと同じことやからな。もう一回毒を煽らん限り、この状態に戻ることはない。これが病気やった場合は発病するかせえへんかは運次第になるけどな」
「ほな、記憶は?」

 今度はカーエスの質問だったが、それにもジッタークは首を降る。

「戻らんはずや。肉体と精神は別の時間が流れとるっていう定説を鵜呑みにすればの話やけど。そうでないと説明が付かんっちゅう事例も数多いし、ほぼ確実やな。他に質問は?」
「私に魔導医学の知識はないので余計なことかもしれませんが、リク様の身体は現在魔法を受け付ける状態ではないと聞きました。この“身体の時を戻す魔法”を受けて大丈夫なのですか?」

 今リクの身体を蝕んでいる魔法毒は、魔導に反応して毒を受けたものを苦しめる性質を持っている。それによって、魔法でしか取り除けない魔法毒の治療が不可能な状況になっているわけではないが、今、ジッタークが行おうとしていることも特殊とはいえ結局は魔法に他ならない。

「余計なところどころやない。俺が生存確率はよくて二割っちゅうたんはそれがあるからや。苦しんで死ぬ前に毒を飲んだ時点の前まで時間が戻れば助かる、そうでなければ死ぬ。ほとんどギャンブルやな。勝ってもほとんど見返りのない」

 そう言って、ジッタークは苦笑する。しかし、放って置いてもなくなる命だ。賭けるしか選択肢はない。賭けて勝つしかないのだ。
 魔法陣を描き終えたらしいジッタークは立ち上がって各々の面々を見回して続けた。

「でもな、今回はあんまり心配ないんやないかと思う」と、ジッタークは今も笛を吹き続けているフィラレスを指して言った。
 そういえば、フィラレスの身体から出ている幾筋もの光の帯も、魔力のはずだ。それでもリクは苦しんでいる様子がない。

「多分、嬢ちゃんの魔力が強力すぎて、魔法毒が与える苦しみが癒しに追い付かんのやな。あれと平行してやればかなりの確率で生存が期待できる」

 言葉と共にジッタークの顔に浮かぶ笑みには自信が満ちあふれていた。
 その時、ジッタークの指示に従って、魔法物質の調合を終えた魔導医師とその助手が彼等の元に戻ってきた。

「おーきに」と、三角フラスコの中に入っている物質を目の前に掲げて出来を確かめる。「カーエス、便利屋、リクの身体をベッドに移してんか」

 ジッタークの指示に、カーエスとコーダが了解、と頷いてリクに駆け寄るが、ふと止まる。

「動かしてもええんかな? コレ」
「その前に触れるんスか? コレ」

 立ち止まった二人の目の前には、フィラレスから発生している光の帯達に包まれているリクだ。彼等が全く動かなかったから、今までずっとこの状態を保持できていたものの、動かした瞬間に集中が乱れて、“滅びの魔力”が暴走するかもしれない。
 その前に他の者が、その光に触れられるのかどうかさえ定かではない。

「他に方法ないんや。さっさとやったれ」と、後ろからジッタークが叱咤する。「大丈夫、きっと、いや多分、おそらく何とかなるはずや」

 ちらりと後ろを振り返ったカーエス達がたちまちその顔を胡散臭げに歪めた。

「……そういう保証は、まず物陰から出てきてから言うてくれ」
「それに保証するならもっと断定的に言って欲しいもんスね」

 その視線の先では、薬品棚の後ろに隠れ、避難体勢を整えたジッタークと魔導医師達がいた。
 溜息を付いてリクの方に向き直り、カーエスが言った。

「まあ、やるしか選択肢はないわな」
「じゃあ、一、二の三で一気にいきやしょうか」
「よっしゃ。三と同時にやで、三で一拍おいていくんとちゃうからな」

 念を入れて確認する二人は、それぞれリクの足と肩を持ち上げられる位置で身構える。

「一、」
「二の」
「「三ッ!」」

 二人の身体が同時に動き、ベッドに寝ているリクに手を出す。途中で、フィラレスの魔力の光に触れたが、それは彼等の身体を傷つけることはなかった。リクの身体を持ち上げ、魔法陣の上に移す時、光の帯達もそれに付いて来る。
 笛の演奏に集中して、他の事は全く感じられないはずのフィラレスだったが、自分と、リクとを繋ぐ光の帯に引かれるように立ち上がり、自らも魔法陣の傍に立ち、演奏を続ける。

「ううむ……」と、カーエスがそれを見て複雑そうな顔をする。フィラレスの恋を応援するとは決めたものの、それでも彼自身の気持ちも雲散霧消したわけではない。こうして自分が好いている少女の、他の男に対する想いの強さを見せつけられると、やはり心が曇る。

「ま、よかったじゃないスか。心配したことも全く起こらなかったんスから」と、彼の心中を察したのか、コーダがカーエスの肩を叩く。

「よっしゃ。ほな、本格的に始めよか」と、ジッタークが隠れていた物陰から姿を現わした。右手には、杖が握られている。隠れている間に“圧縮卵”に収まっていた魔導具のいくつかを組み立てたものらしい。杖頭に嵌まっていた球状の容器の中で、魔導医師に調合してもらった魔法物質が揺れている。

 ジッタークは自分の来ている白衣を脱ぐと、代わりに魔導具の中にあった長衣を羽織り、様々な装飾品を身に着けた。
 そして、ふと自分を見ている四人の目を見て、ジッタークは苦笑して言った。

「なんせ時を操るほどの魔法やからな、ワシの魔導制御力じゃぜんぜん足らん。魔法陣を作った上に、この魔法の為だけに作った魔導具を山ほど身に付けなあかんねん」と、手を広げて自分の仰々しい姿を見せる。
 その時、医務室のドアがやや乱暴にノックされた。

「中にいる者に告ぐ。我々はディオスカス様の率いる反乱軍の者だ。君たちは既に包囲されている。大人しく扉を開け、全員投降せよ。我々は虐殺を行っているのではない。強力を得られなくとも、殺しはしない」

 その声に、全員がその扉に目を向け、一様に眉をしかめた。

「全くもう、これからっちゅう時に……。おっちゃん、あいつらは俺らが抑えるから、おっちゃんはリクを頼むで」
「よっしゃ。そっちも気ぃ付けや」

 カーエスはジッタークと頷きあい、次いでジェシカ、コーダに目配せをすると、彼等と連れ立って扉に歩み寄る。
 扉を目の前に、三人並び、再びカーエスがジェシカとコーダに頷いてみせると、扉のノブに手を掛け、勢いよく開けた。
 扉の向こうには見える範囲だけで五人、魔導兵器で武装した魔導士達が待ち構えており、その中の二人が医務室へと突撃を試みたが、カーエスの防御魔法に守られたジェシカが迎え撃つことで、これを押し返し、カーエス達が扉の外に出る。


 ジッタークは、カーエス達が出るのを見届けた後、にわかに顔を真剣なものに変え、杖を構えて魔法陣に向かい合った。杖を両手で正面に持って構えると、目を閉じ、大きく息を吸って呪文の詠唱を始めた。

「生きとし生けるもの、命持たぬもの、世界、ありとあらゆるものに流れる時」

 詠唱の節々で、ジッタークはとん、とん、とん、と魔法陣の各所を叩いて行く。触れた場所から魔力が流れ、光が灯る。

「淀むことなく永遠を流れ、変化を呼ぶ時。しかし時それ自体は変わることを能わず」

 次に、ジッタークは魔法陣上に描かれた文字をなぞるように杖を動かす。やはり、なぞられた部分から、線が光を帯びて行く。

「されど敢えて願わん。その者リク=エールの時間の逆行を、死せる者の血で持って!」

 最後に、ジッタークが魔法陣の外側の円をなぞると、魔法陣の全ての線が強く輝いた。
 そして彼はその魔法の名で詠唱を締めくくる。

「《巻き戻し》」


   *****************************


 歌に引かれ、光に導かれて、リクは、“死出の道”の激流を遡上するように進んでいた。
 すると、突然リクの前方から光が走り、目の前がフラッシュする。

「……っ!?」

 その眩さに閉じていた目を開くと、川の流れがピタッと止まっている。流れが無くなったわけではない。時を止めたかのように動かなくなったのだ。
 不思議に思いながら、前進を再開してそれほどもしない内にもう一度閃光が走った。
 次の瞬間、川が逆流を始める。

 何事だ、と思う暇もなく、光に庇護されて流されることがなかったはずのリクの身体はその逆流に飲まれた。
 方向は生の世界なので、もがく必要はなかったのだが、流れに飲まれ、渦にさらわれるうちに、自分がどの方向を向いているのか分からない。息も突然出来なくなり、彼の脳内はかなりのパニックに陥っている。
 混乱の内、意識が遠ざかって行く中、リクは最後までフィラレスの歌を聞いていた。



 決して折れない志に誘われて 私の夢も形成しはじめた

 感謝しています 強い導きに
 闇の中に迷っていた私に 希望を示してくれた光に

 さあ目を覚まして あなたの見る夢はまだ終わらない
 あなたが私達にくれた夢達が あなたを待ち続けるから

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